リーダーの危機
本日、東芝の歴代の社長3人が正式に辞任することが発表されました。
経営トップが事業責任者に目標達成を迫るのはどこでもある話ですが、日本を代表する企業の社長が3代にわたって粉飾決算を指示してきたというのは前代未聞の異常事態です。
ここ最近では、新国立競技場の建設費用をめぐって誰も責任をとらない構造が明らかになりました。安保法案をめぐる国家のトップ達の議論もお寒いものがありました。
日本を引っ張るリーダー達は一体どうしちゃったのでしょうか?
本来、国家や企業のため、国民や顧客のために働くリーダー達が、自分の利害のため、自分のメンツのために働いているとしか思えない行動が目立ちます。
世の中には人のために素晴らしい仕事をしている庶民が沢山いるのに、リーダー達がこれでは本当に残念でなりません。
ノブレス・オブリージュの考え方
「ノブレス・オブリージュ」という有名な言葉があります。Noblesse obligeというフランス語の格言で、「社会的地位の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという基本的な道徳観」を意味します。元々は貴族の言葉で、「貴族は特権を持つ代わりに、いざ危険が迫った時には自らが先頭になってその危険に立ち向かわなければならない」という自己規範です。
やや高貴な規律に感じるかもしれませんが、これは一般の人々にとっても大切な考え方だと思います。電車でお年寄りに席を譲ることも、仕事で部下に良い見本を示すことも、プロジェクト責任者が失敗の責任をとることも、企業が個人に安全な製品を提供することも、いずれもノブレス・オブリージュです。私達は日常の仕事においても、日々(プチ)ノブレス・オブリージュを試されているといってもいいでしょう。
東芝の3社長の行為は完全にノブレス・オブリージュに反するものですが、恐らくこの3社長は元々立派な見識と能力をお持ちだからこそ、社長に上りつめた筈です。ところが組織や世間体といったものが、彼らのノブレス・オブリージュを簡単に壊してしまいました。怖いことですね、、、。自分のメンツ、社内競争、派閥争い、株式市場のプレッシャーといった要素は、人をいとも簡単に変えてしまうのです。
無宗教の国は何を規範とするか
一般的に宗教は、法律よりも高いレベルで人の規範を縛っており、ノブレス・オブリージュに一役かっています。しかし日本人の多くは無宗教なので、宗教による縛りがありません。代わりに学校の道徳の授業、祖父母や両親からの教育、世間に受け入れられるための独特のルールが、行動に規律をもたらしてきましたが、この縛りはどんどん緩くなっています。
社会がそういう流れになっているので、自分自身がちゃんと規律や哲学をもっていないと、いとも簡単に流されてしまいます。
ご存知のように、お隣の中国では人々の拝金主義が社会問題の一つです。
元々中国は儒教の国。年長者を重んじ、隣近所の縁を大切にする国でした。ところが文化大革命で徳や教養のあるリーダー達が蹴落とされ、数多くの良心が失われました。後に鄧小平が登場して経済至上主義の発展に移行したため、国民は儒教の心など忘れひたすら金儲けに走りました。その過程で人々の絆や信頼が徐々に損なわれ、今の拝金主義になってしまったのです。中国も宗教という精神的支柱がないため、崩れた道徳を持ちなおすのは大変な事です。
今でも日本人の道徳観は非常に高いとはいえ、他山の石としなければなりませんね。
日本が誇る武士道の教え
ちなみに日本にもノブレス・オブリージュに近い誇るべき考え方があります。「武士道」です。
武士道では、武士が商人や農民よりも厳しい規範を守るべき道が書かれています。「正義、勇気、情け、礼儀、誠」といった非常に単純だけど貫くのが容易ではない道です。
誰しも仕事では様々な壁にぶつかりますが、それを乗り越え何かを成し遂げていく上で、武士道は非常に助けとなる考え方だと思います。